ページ

2011年6月6日月曜日

ジェットストリーム

初めてラジオから流れて出て来るFM福岡のジェットストリームを聴いたのは1974年の事だった。それまでは民放のFM局がない岡山に住んでいたので聴く事ができなかったのだ。

いや、それは少し正確ではないだろう。
午前0時からの放送に合わせてFM大阪を聴くためにアンテナを屋根の上に立てたのは1970年頃だったと思う。当時のNHK-FMはポップスミュージックの放送などあまりなくて、ほとんどはクラシック曲ばかりだったのだ。その頃はまだアマチュア無線をやっていたので、屋根の上には7MHz, 21MHz用のアンテナが並んでいたおり、FM用のアンテナなんて小さいものだったのだ。

それに深夜放送の全盛期になっていたため、AM深夜放送を毎晩聴くようになっていたのだ。岡山でも7MHz用のアンテナを流用すれば、大阪の毎日放送、それに文化放送や日本放送を聴く事ができた。だから難視聴を解消するという旗印を是とする昨今のインターネットでのラジオ配信「Radiko」の地域割りで岡山でそれらの放送を聴く事ができないのは、私にとってはどうにも不可思議な現象なのだ。田舎の視聴者を無視した都会のエゴをむき出しの方針だとしか思えない。

関係はなかろうが「日本は一つ」なんて言葉がテレビから流れて来ると、そりゃ都会人達で勝手にやってろ、と言いたくもなる。だからといって都会と田舎の地域格差を無くせと主張したいわけでもない。それはあって当然だし、むしろ貴重な税金を無駄使いしてまでそれを無くそうとする意志には断固反対なのだ(そんな事する役所なんて不要だ)。そうではなくて田舎での利用が可能なように有料でいいから提供してくれればいいのにと思っているだけなのだが。もちろんコマーシャルフリーでね。

いろいろつまらない事を書いてしまった。さて、本題に戻ろう。
FM大阪から流れてくるジェットストリームは、ほとんど雑音ばかりだったけれど、それでもちょくちょく聴いていた。
それが奇麗な音でFM福岡のジェットストリームを聴けた時には、本当に感動した。それから何年もの間、山口県でジェットストリームを聴く事ができたが、やがて転居に伴い1980年にはジェットストリームを聴けなくなってしまった。ただ、1981年頃に岡山にも民放のFM局が作る動きがある事を風のたよりに聞いたので期待して数年、その後なんの動きも無いので記憶から抜けさってしまっていた。

それが2000年を過ぎた頃にFM岡山が出来てジェットストリームを奇麗な音で聴けた時には三度目の再会に感動した。その間にパーソナリティーは城達也さんから、四代目の伊武雅刀さんになっていた。個人的には城さんの声もよかったけれど、伊武さんの渋い声の方が気に入っていた。

2009年4月1日のジェットストリームの最後に以下のようなメッセージを聴いた時には本当に驚いてしまうと同時に寂しくなった。最終回だった。
「さて、2002年の10月から午前0時のナイト・オン・ザ・プラネット。またたく星の煌めきの中で、地球に住む67億の出会いと別れ、思いを寄せて綴ってまいりましたジェットストリーム。わたくし伊武雅刀、今夜をもちましてこの操縦席を新たなパイロットに引き継ぐ事になりました。6年半もの長い間、どうもありがとうございました。夜の帳は明日への扉。皆様に新たな希望と幸多き出会いがあります事を。」

その後を引き継いだパーソナリティー、大沢たかおさんの声は私には合いませんでした。そして1年も経たない内にスポンサーのJALが、、、。

0 件のコメント: