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2011年6月29日水曜日

オールドノリタケのガーゴイル広口壺

写真を整理していたらこんな写真が出てきました。

これは高さが12cm程で六角柱形の各面にグロテスクなゴシック調のレリーフを浮かび上がらせたオールドノリタケのいわゆるJARと呼ばれる物です。各面の彫像はそれぞれ別の形をしていて、この写真はその中の一体です。オールドノリタケの中でもこのようなゴシック調の作品は稀だったように記憶しています。

2011年6月27日月曜日

釣果記録2011-06-26

午前四時に牛窓海水浴場へ到着。すごい風だった。実は一週間前、新田井港の波止で午前二時から五時までエギを振ったがボーズだった。そこで、ひとつ雪辱戦をと心に誓って出てきたものの、この風と波ではどうにも、、、。
それでも、せっかく出てきたのだからと、風が収まるのを待ってみる事にした。午前五時頃から次第に風がないできた。
でも肝心の釣果の方はさっぱりで、六時まで粘ったものの結局ボーズだった。

2011年6月12日日曜日

釣果記録2011-06-12

午前4時から牛窓海水浴場の波止でエギを振る。
昨日まで雨だったのでイカの活性は低いだろうと思っていたけれど、やっぱりそうだった。
エギを2.0から3.0まで変えて探るも無反応。でも波止ぎわにイカの姿が見え隠れしていたので、いないことはないのだろう。
最後に3.5号のエギを投げていると、やっとアタリがあった。今年初のモンゴウイカ、胴長23cmでした。

2011年6月6日月曜日

ジェットストリーム

初めてラジオから流れて出て来るFM福岡のジェットストリームを聴いたのは1974年の事だった。それまでは民放のFM局がない岡山に住んでいたので聴く事ができなかったのだ。

いや、それは少し正確ではないだろう。
午前0時からの放送に合わせてFM大阪を聴くためにアンテナを屋根の上に立てたのは1970年頃だったと思う。当時のNHK-FMはポップスミュージックの放送などあまりなくて、ほとんどはクラシック曲ばかりだったのだ。その頃はまだアマチュア無線をやっていたので、屋根の上には7MHz, 21MHz用のアンテナが並んでいたおり、FM用のアンテナなんて小さいものだったのだ。

それに深夜放送の全盛期になっていたため、AM深夜放送を毎晩聴くようになっていたのだ。岡山でも7MHz用のアンテナを流用すれば、大阪の毎日放送、それに文化放送や日本放送を聴く事ができた。だから難視聴を解消するという旗印を是とする昨今のインターネットでのラジオ配信「Radiko」の地域割りで岡山でそれらの放送を聴く事ができないのは、私にとってはどうにも不可思議な現象なのだ。田舎の視聴者を無視した都会のエゴをむき出しの方針だとしか思えない。

関係はなかろうが「日本は一つ」なんて言葉がテレビから流れて来ると、そりゃ都会人達で勝手にやってろ、と言いたくもなる。だからといって都会と田舎の地域格差を無くせと主張したいわけでもない。それはあって当然だし、むしろ貴重な税金を無駄使いしてまでそれを無くそうとする意志には断固反対なのだ(そんな事する役所なんて不要だ)。そうではなくて田舎での利用が可能なように有料でいいから提供してくれればいいのにと思っているだけなのだが。もちろんコマーシャルフリーでね。

いろいろつまらない事を書いてしまった。さて、本題に戻ろう。
FM大阪から流れてくるジェットストリームは、ほとんど雑音ばかりだったけれど、それでもちょくちょく聴いていた。
それが奇麗な音でFM福岡のジェットストリームを聴けた時には、本当に感動した。それから何年もの間、山口県でジェットストリームを聴く事ができたが、やがて転居に伴い1980年にはジェットストリームを聴けなくなってしまった。ただ、1981年頃に岡山にも民放のFM局が作る動きがある事を風のたよりに聞いたので期待して数年、その後なんの動きも無いので記憶から抜けさってしまっていた。

それが2000年を過ぎた頃にFM岡山が出来てジェットストリームを奇麗な音で聴けた時には三度目の再会に感動した。その間にパーソナリティーは城達也さんから、四代目の伊武雅刀さんになっていた。個人的には城さんの声もよかったけれど、伊武さんの渋い声の方が気に入っていた。

2009年4月1日のジェットストリームの最後に以下のようなメッセージを聴いた時には本当に驚いてしまうと同時に寂しくなった。最終回だった。
「さて、2002年の10月から午前0時のナイト・オン・ザ・プラネット。またたく星の煌めきの中で、地球に住む67億の出会いと別れ、思いを寄せて綴ってまいりましたジェットストリーム。わたくし伊武雅刀、今夜をもちましてこの操縦席を新たなパイロットに引き継ぐ事になりました。6年半もの長い間、どうもありがとうございました。夜の帳は明日への扉。皆様に新たな希望と幸多き出会いがあります事を。」

その後を引き継いだパーソナリティー、大沢たかおさんの声は私には合いませんでした。そして1年も経たない内にスポンサーのJALが、、、。

釣果記録2011-06-05

6月5日日曜日午前3時半、牛窓海水浴場到着。先行者4名。
明るくなりかけた頃に波止角でモンゴウイカが上がる。さらにその一時間後に波止先端の方でモンゴウイカが上がる。
でも私はボーズ。いや正確には違う。
こんなのが釣れました。
体長20cmばかりのナマコです。

2011年6月4日土曜日

釣果記録2011-06-04

 6月1日の夜に下津井の地波止を廻ってみた所、イカ釣りの人は多少いたものの、ほとんど釣果は無いようだったし、スミ跡も無かった。

 そこで、6月2日の午後3時から牛窓海水浴場にモンゴウイカを期待して釣りに出かけてみた。干潮だったものの、胴長12cmほどのシリヤケイカ1匹と同じサイズのコウイカ1匹が釣れた。

 大きさが今ひとつだったので、6月4日の午前4時より牛窓海水浴場にて釣り開始。開始直後に胴長30cmのアオリイカが釣れた。隣の人には胴長23cm程のモンゴウイカが釣れていた。ただ、その後さっぱり釣れなくなったが。