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2009年2月28日土曜日

YAMAHA XT250

私が自動二輪の免許をとったのは28の歳。
今はどうだか知らないが、当時は教習所へ入所して3ヶ月以内に終了試験に合格しないと実技の終了試験をうける資格が無くなってしまう事になっていました。
自動車教習所へ仕事の合間をぬって出かけていたので、実技試験は3ヶ月満了まで残すところ3日でした。一発勝負で決めなければ再試験はありませんでしたが、無事に合格しました。

それからしばらくして、四輪の方で悪い業者にひっかっかってしまいました。車を点検に出した所、あちこちが悪いので部品交換が必要だといわれ、その請求書を見ると百万円を超えていました。それで、修理しなくていいから車を返してくれと言うと、もう車は解体しているので請求金額を支払わなければ組み立てないと言われました。中古車価格が百万円程度の車に修理費として百万円以上かけるというのは馬鹿の所業だろうし。

仕方が無いので車は業者の倉庫へそのまま放置して、その後の8年間を自動二輪だけで過ごしました。車は友人からタダで譲ってもらったヤマハXT250でした。単気筒なのでアクセルを開けた時の加速が気持ちよかった。暖かい季節はそれなりによかったけれど、冬ともなれば朝のバイク通勤は辛いものがありました。
それでも乗り続けていましたが、3年ほど経った頃、出かけた先から帰る途中、いくらキックしてもエンジンがかからなくなりました。オイル漏れが少しあったのを放置していたのがよくなかったのでしょう、エンジンが死んでしまいました。その時は故障の原因がわかならかったので、動かなくなったバイクを自宅まで5kmほど押して帰りました。晩夏の夕日がまぶしかった。

バイク屋さんにエンジンが駄目だと言われた時、レストアして貰えないだろうかとお願いしたのですが、うちでは無理だ、と断られてしまいました。
その後、近所のホンダのバイク屋さんからホンダのオフロードバイクXR250を購入して五年乗りました。驚いた事にこのバイクにはセルスターターが付いていました。でも何となく軽すぎるんです。私には多少モッソリとした感じのするあのXT250が似合っていました。

8年間で路上での転倒は3回で骨折は一度も無し。最後の転倒は四輪の左折に巻き込まれた事故でした。周囲から危ないと言われ続けながら乗り続けたバイクでしたが、その事故からしばらくして四輪を購入し、いつの間にかバイクには乗る事が少なくなってしまいました。

今でも思い出すのは、熱気漂うアスファルトの家路と動かなくなったXT250。

2009年2月27日金曜日

岡山のいろはにコンペイトウ

三角四角、
四角は豆腐、
豆腐は白い、
白いはウサギ、
ウサギは跳ねる、
跳ねるはカエル、
カエルは青い、
青いは幽霊、
幽霊は消える、
消えるは電気、
電気はおやじのはげ頭

Folklore in Okayama

triagle and square,
square is for tofu (bean curd),
tofu is white,
white is for rabbit,
rabbit jumps,
jumping is for frogs,
frog is green (which has other meaning of blue and pale in Japanese),
pale is for ghost,
ghost will be invisible in darkness,
darkness is for not working of light,
light is bright,
bright is for the boldness of fathers.

2009年2月26日木曜日

大倉陶器のコーヒーカップ

オールド大倉では無くてビンテージ大倉のコーヒーカップです。

2009年2月21日土曜日

最上稲荷の奥の院(3)

奥の院までの道すがらには大きな岩があって、それが磐座(いわくら)になっていました。磐座は神様が天から下りてきて、そこに居る場所なので、なんとなく憚られ、写真は撮りませんでした。
矢吹紫帆さんがいっていた「観音様に会いに熊野へ」というのは私の感覚では九州大分県の国東半島になってしまいます。青の洞門もよいのですが、あそこは巨石がゴロゴロと転がっていて「どこでも磐座」という雰囲気とともに至る所に磨崖仏や石仏があります。

備中で比較的有名な磐座は吉備津神社の裏山にあるものでしょう。宮内庁の管理区域にあるので立ち入る事ができませんけれど。記憶が定かで無いのですが、巨大な前方後円墳の円墳部に幾つかあったのではないかな。
さて、息をきらせながら登った奥の院のある龍王山ですが、帰りは膝がガクガクになってしまい、三日間はふくらはぎの痛みに悩まされました。

龍王といえば、岡山には龍王山がやたらにあります。岡山ってそんなに日照りに悩まされていましたっけ?龍は水神様ですから雨を降らせる神様になっているなのです。奥の院の龍王山は八大龍王なので、旱魃には大変に御利益がありそうです。

翌日の月曜日は矢吹紫帆さんのコンサートの事は忘れていたのですが、急に高熱を出した病人が発生してお昼の時間が突然ぽっかりと空いてしまいました。それで、ふと思いついて出かけてみる事にしたのでした。

2009年2月20日金曜日

マイセンのティーカップ(3)


天使図柄のマイセンのティーカップです。
星マーク入りマルコリーニ期の1770-1780年頃の物です。オーストリアからです。
【アンティーク】

2009年2月19日木曜日

最上稲荷の奥の院(2)

最近入手した絵葉書に「備中稲荷山のケーブルカー」というものがありました。

そんな物が稲荷山にあるとは知りませんでした。調べてみますと第二次大戦前にはあったんですねぇ。それが戦争の激化にともなって、金属供出の憂き目に遭って解体されてしまったんですねぇ。

今まで知らなかった話なので是非とも現場へ行ってみたくなりました。それに翌日の日曜日は暖かくなるという天気予報でしたから。
最上稲荷の旧本殿の左側の石段を登って行くとコンクリートの柱に支えられた展望台のような構築物があります。

その構築物の上に出た場所の写真です。ケーブルカーの出発駅の山下駅は旧本殿の場所にあったとのことなので、後に作られたのでしょう。
同じ地点から少し左を向いて撮った写真が次の写真です。

写真では奥の方に少しだけ石の階段が見えています。この石の階段部分を山の上の方向に向けて撮った写真が「最上稲荷の奥の院(1)」にある石段です。この長い石段は、絵葉書の中のケーブルカーの左側にある石段の一部にちがいありません。

さて、長い山道を一時間も登って行くと平坦な広場に出ます。最初はここが奥の院だと思ったのですが、昔のケーブルカーの山頂側の奥の院駅があった場所だったのですね。奥の院まではさらにしばらく歩く必要があります。「最上稲荷の奥の院(3)」に続く。

2009年2月18日水曜日

きもかわいい

「きもかわいい」
「きも」とはすなわち肝臓を意味する。

子供の頃、母方の田舎では祖父がウサギを何十羽も飼っていて、それを解体して肉や毛皮を売っていました。当時は肉は高価で、貧乏人の口に入るのはクジラの肉くらいでした。だからウサギの肉を食べさせてもらえたのかというと、そんなに甘くはありません。

ウサギを解体していた祖父は、出征して南洋のトラック島という場所で終戦を迎えたのです。何時頃撮られたのか知りませんが、南部十四年式拳銃をさっそうと握った写真を見せてもらった事がありました。そのトラック島は米軍にとっては重要な島では無かったとみえて、戦線はさっさと北の方へ移動してしまいました。つまり米軍支配地域に置き去りにされたのです。そうなると島には日本からの補給がありません。小さな島には食べ物が無かったのです。生きるためには何でも食べなければならなかったのです。

そういう人ですから売り物のウサギの肉では無く、ウサギの「きも」を食べさせてもらっていました。これは本当においしかった。

「きもかわいい」=「ウサギの肝はおいしい」=「うさぎおいしあのやま〜」

2009年2月17日火曜日

マイセンのティーカップ(2)


鳥図柄、マイセンのカップとソーサーです。
ボタン双剣マークの1890年頃の製品です。
【アンティーク】

最上稲荷の奥の院(1)

そもそもの始まりは、一枚の古ぼけた絵葉書を手に入れた事でした。
 
2月16日午後1時から矢吹紫帆さんのコンサートがあるというので出かけました。場所は何と!お寺の本堂です。つい24時間前まで、そんなコンサートの存在さえ知りませんでしたし、出かける時間的な余裕も無かったのですけれど、偶然にもそれができてしまいました。
身近で話する機会ができたのは久しぶりだったんですが、根が小心者なので、、、。高二の夏だったか、前島で撮った写真を思い出しましたよ。あの夏は今思い返しても本当に暑かった。あの企画は誰が何のために立てたのか、時々想像してみるのです。ああ、、、妄想に耽ってますねオイラ。

仕事の時間があったので途中までしか聴く事ができませんでしたけれど、このようなライブを聴く機会が無い身にとっては楽しい時間が過ごせました。

その前日、
かつて一度も行った事が無い最上稲荷の奥の院へ登っていました。面白半分からです。最上稲荷から奥の院へ登るには、旧本殿の左側にある石段からスタートします。すこし山道を歩くと奥の院まで十二丁という案内がありました(一丁がおよそ百メートルですから千二百メートルになります)。

やがて運動不足の身を思い知らされました。何度も息切れし、その度に休みながら歩きましたが、最後には目の前が真っ白になって倒れそうになりました。

やっと登り終えて山頂の本堂の前で息をきらせながら風景を見渡していると掲示板に見たような名前があるのが目に止まりました。それがコンサートの案内でした。

でも、それはウィークデイの午後でしたのでコンサートに出かける時間的な余裕は無いな、と思っていました。けれど当日になって急に時間が取れたので出かけてみたのです。

それにしても、コンサートの楽器を担いであの山道を登るとは思えないので、よくよく調べてみたら、山の裏側にちゃんと自動車道がありました。だから、簡単に出かける事ができたのです。

その一日前の事です。

2009年2月16日月曜日

ロイヤルウースターのコーヒーカップ


ロイヤル・ウースターのカップ&ソーサーです。
星と点10個なので1926年の製品でしょう。
【アンティーク】